こんにちは。お人よしコミュ障ブロガーのミヤモンです。
人の目を気にし過ぎてしまう気質の皆様。辛いですよね、疲れますよね。
僕もです。
小さい頃から、周りの人の視線や評価を気にしていました。
いかに目立たず周りを刺激しないように、嫌われないように、そのことばかり考えて生きてきました。
今回は、人の目を気にし過ぎる不自由な生き方から、どうすれば脱却できるのかということについて、僕なりの考えを書いていこうと思います。
そもそも「人の目を気にする」生き方とは?
本題に入る前に、少しだけ考えてほしいのですが、
「あなたは人の目を気にし過ぎだよ。」
と言われたとき、どのように感じますか?
「自分に自信がない」「不自由な生き方」
「自分の意見を我慢している(自分の考えがない)」
「相手の顔色をうかがい、気を使いすぎている」
「相手の評価、価値観の中で生きている」 など、
「人の目を気にする」といってもその感じ方は人それぞれではありますが、基本的にはネガティブなイメージが付きまといます。
「あなたは人の目を気にし過ぎ」と言われて喜ぶ人はいないでしょう。
僕の考えでは、「人の目を気にし過ぎてしまう生き方」=「自分の自信をすり減らす生き方」だと思っています。
相手の判断基準で生き、自分で決断する機会が少ないため、自信がつきにくく、むしろ、常に周りの人に嫌われないよう神経を使い、相手の些細な言動にも傷ついていてしまうほど繊細なため自信が無くなっていく。
そのような生き方には、常に「自分はこのままでいいのかな」「一生人の目にびくびくしながら生きるんじゃないか」といった、
言葉にしづらいような漠然とした不安感や、「自分の思うような生活ができていないな」「なんとなく不自由で疲れるな」といった閉塞感が付きまといます。
精神的にあまり良い生き方とは言えないと思います。
「人の目を気にし過ぎる」から脱却するには
自分に自信がない、嫌われたくないという感情は誰しも多かれ少なかれ持っていると思いますし、相手の反応を気にした言動をとる事も健全なことだと思います。
そうでなければ、ただただ自分勝手で、傲慢に人を傷つける人間になってしまいますから。
ただ、「人の目を気にし過ぎてしまう」ことは問題だと思います。
先ほども書いたように、自分に自信が持てず、常に閉塞感や不安を抱えて生きることになってしまいます。
もしもそれが一生続くとしたら、絶望しかないと思うんですよ。
毎朝起きるたびに「今日も一日頑張らなくちゃ」と誰かの期待を埋めるための義務的な生き方になってしまうと思うんですよ。
ここでは、どうしたらそのような生き方から脱却し、もう少しだけ自分を大切にし、自然体で、心穏やかに生きていけるだろうかということについて考えていきます。
1 自分が自由でいられる空間を作る
一つ目は自分が自由だと感じられる空間を見つけ、それを増やすことです。
「人の目を気にし過ぎてしまう」人にありがちですが、学校や職場、街中など不特定多数の人の目に触れる環境の中にいると、心が落ち着かない、集中できないということがあります。
その原因として、常に誰かに見られているという意識が強いため、そのことで頭の中が埋め尽くされてしまっているからなのではないかと思います。
あの人はどう思っているだろうかとか、少しでも目立ったり、誰かに目をつけられたら陰で悪く言われるのではないかといったことを常に考えてしまうため非常に疲れます。
気づかないうちに疲弊していってしまうのです。
僕の場合、職場に行くと妙な緊張感がいつも襲ってきます。
学生の頃は教室や学校の敷地内に入っただけで他の学生や先生の目が気になり常にびくびくし、気が休まることがなかったのです。
特に、毎日関わりあわなければならない職場や学校の人だからこそ一層、嫌われないようにと気を使ってしまいます。
そんな僕ですが、家に帰りつくと一気に開放的な気分になります。
「今日も無事に一日が終わった」という達成感もそうですが、それ以上に人の目を気にしなくていい自分の空間にいられることがとても楽なのです。
おそらく皆様にもそのような場所があるのではないでしょうか?
自宅、早朝の近所の公園、図書館、お気に入りのカフェ、トイレの個室
昼過ぎの電車など
自分がゆっくりと深呼吸ができて、「疲れたな」「今日は仕事で失敗して怒られちゃったな」といった自分の感情や考えに集中できる場所が、あなたが自由になれる場所です。
そして、そのような場所は意外と身近にあるものです。
積極的に自分の空間や時間を見つけ、増やしてみてください。
ちなみに僕は夜9時くらいに散歩に行くのが大好きです。
この時間に外出をしている人がほとんどいないため、誰の目を気にする必要もなく、ただ何も考えずゆったりとした気分のままいられます。
たまに考え事をしている時もありますが、基本的には「月がきれいだなー今日めちゃくちゃ天気良かったしなー。」みたいなことをのんびり考えています。
一人でのんびりしてる時間ってすごく時が進むのがゆっくりになってるんじゃないかって錯覚するほどリラックスできるんですよ。
僕にとってはそれが、今日一日気を張っていた自分の精神的な体力を回復する時間になっています。
2 自信を少しずつ回復していく
「人の目を気にし過ぎる」一番の原因はやはり自分に自信がないことだと思います。
「容姿に自信がない」「コミュニケーションに自信がない」など。
人の目を気にするがゆえに、何事に対しても消極的なため自信をつける機会がなく、誰かから受けたマイナスの評価を強く受け止めてしまうため自信が減っていく一方になってしまう。
であるならば、自分に自信を取り戻す以外に今の生き方から脱却する術はやはりないのではないでしょうか。
では、どのように自信を取り戻していくか。
最も重要で、かつすぐにでも実践できる方法は「自分の持つ価値観を明確にする」ことだと思います。
当たり前のことかもしれませんが人が誰かを評価するときの価値観はそれぞれです。
容姿、学歴、職業、性格、コミュニケーション力などなど。
「人の目を気にし過ぎる」人は、誰からも嫌われたくないと感じてしまうため、様々な価値観の中から自分の欠点ばかりに目を向け、勝手に自信喪失になってしまいがちです。
まずは、すべての人に好かれるような人はいないという当たり前の事実を再認識したうえで、自分が提供できる価値は何か、自分はどんな価値観で人を評価しているかについて考えることが大切だと思います。
例えば僕であれば、よく職場の人やお客様に「親切」「丁寧」「真面目」と言われます。
それが僕が提供できる価値であり、僕が人と接するときに相手に求める価値観でもあります。
人の話を聞かない人や、時間にルーズで人の都合を考えない人、自分勝手な人と会うと「合わないな」と思ってしまいます。
まずは、自分が提供できる価値=自分が相手に求める価値観だとして周りの人を気にしてみてください。
自分に向けられる他者の視線ばかりだったものを、自分から他者への視線に変えてみるのです。
そうすると自分では当たり前だと思えるようなことができていない人がいるはずです。
他者と比較してみることで初めて自分の良さが確認でき、それが自信を育むことにもつながるはずです。
そのために、まずは自分と他者を比較するための判断軸となる「自分の価値観」を明確にすることをお勧めします。
どんなに些細なことでも構いません。思いつくだけ考えてみてください。
「朝早く起きれる」とか「部屋がきれい」とか「人の話が終わるまで自分の話はしない」とか自分にとってのあたりまえが誰かにとってのいい評価につながればさらに自信をつけることができます。
僕であれば「真面目」「親切」という評価はただのお人よしで終わってしまうかもしれませんが、それでいいと思っています。
マイナスかプラスかでいえばプラスくらいの評価でも上出来だと思っていて、それを積み上げることで自信を取り戻していけると思っています。
自分にとって自信を積み重ねていくことはライフワークの一つなのです。
結論 ゆるく自信をつけていけたら最高です
以上、「人の目を気にし過ぎてしまう」生き方から脱却する方法について、「自分が自由でいられる空間や時間を増やすこと」、「自分の価値観を明確にすること」で自信を回復させていくことの二つが自分なりに大切だと感じています。
即効性のあるような方法ではないですが、少なくとも一方的に自信をすり減らしていくような生き方よりは希望があると思いませんか?
それくらい緩いやり方のほうがむしろ気楽にできていいと思うんですよ。
自由になれる場所を確保して、その日一日の自分の精神体力を回復して、日々の生活の中で自信を少しだけ付けていく。
このブログを読む前より、ほんの少しでも気が楽になったり、明日への活力的なものが沸いてくれていれば幸いです。
今回は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございます。
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