こんにちは。お人よしコミュ障ブロガーのミヤモンです。
僕は4年制大学を卒業し、新卒で携帯販売員として働き始めました。
配属された店舗で同じように販売員として働くスタッフの中には、高卒で働き始めた方も数人いましたが、そのような人たちと自分を比較してこんなことを感じました。
自分は大学まで出たのに、高卒のスタッフよりいろいろ劣ってる。
今回は、僕が新卒で働き始めてからすぐに感じた、このような大卒者としてのコンプレックスについて書いていきます。
最初の教育係は高卒の先輩だった
店舗に配属されてすぐ僕の教育係についてくれたのは、2つくらい年上の、高卒で働き始めた方でした。
この方が非常に仕事のできる方だったのです。
礼儀正しく店舗の他のスタッフからの信頼は厚い、頭の回転も速く、コミュ力が高い、自分のような物覚えの悪い後輩にも丁寧に仕事を教えてくれました。
一方自分は大卒にもかかわらず、コミュ力は壊滅的に悪く店舗のスタッフやお客さんとコミュニケーションが取れない、頭の回転が悪く要領も悪い、自分の頭で考えることができない指示待ち人間・・・
自分のこれまでの人生を否定したくなるほど、自分は社会に出たら無力なのだと痛感させられました。
僕が大卒者としてのコンプレックスを感じる理由
僕が、「大学を卒業したのに何で自分はこんなに無能なんだ」と強く感じるのには理由があります。
それは大学時代を通して自分は人として成長できたのだろうかと感じているからです。
自分は高校生の頃から、変わっていないのではないか
大学時代の4年間は自分にとってとても大切な時間だったと思っています。
自分の興味のあることを見つけることができ、編入学という貴重な経験もしました。
将来の目標も見つかり、そのための一歩として今の仕事に就くことを決めました。
大学に進学した意味は十分あったと思っています。
しかし、いざ社会に出てみて自分の無能ぶりを自覚し、コミュ力や主体性、協調性など学生時代に身に着けておくべき人としての能力は高校生の頃からほとんど変わっていないのではないかと感じるようになりました。
それも当然のことかもしれません。
大学に行って授業を受け、生活費のためにバイトをする。
それ以外は基本家にいる。
僕の大学時代はそんな感じでした。
ボランティアや留学、インターンなど主体的に活動したものもなく、大学内では基本ぼっちで過ごしていました。
高校生の頃とまるで変っていません。
だからこそ就職してすぐ、周りの高卒で働き始めた人々に比べ、自分は人としての根本的な能力が劣っていることに気づき、自分は大学での4年間で何をしていたのかと思わざるを得なくなったのです。
大学に進学すれば自分も変われると思っていた
僕が大学進学を志したのは、高卒で働き始める自信がなかったからでした。
得意なこともなく、人としての魅力もなく、マナーや礼儀もない。
無い無い尽くしで自分に自信がなかったからこそせめて大卒の資格を取ろう、そして大学時代を通して成長できるだろうと根拠もなくそう思っていました。
その結果が上に書いた通りです。
いくら環境が変わっても、自分の頭で考え動くこともできず、変わる努力もしなかった自分の大学時代は結局、高校生の頃からの周りの目を気にして流されるだけの生活の延長でしかなかったのです。
編入学してみても、一人暮らししてみても、就活や卒論にまじめに取り組んでみても、自分の根本的なコンプレックス(コミュ障、他人の目を気にする、主体性の無さ)は変わっていなかったと社会人になってから気づいたのです。
まとめ 大学時代を意味のあるものにするのは社会に出てからの自分次第
以上、僕の経験を書いてきました。
大学時代の4年間、自分の興味のあることを深く学ぶことができたことはとても良かったと思っています。
それでも、社会に出てから感じるのは、大学まで出たのに自分はなんて無力なんだという劣等感でした。
大学で勉強した内容は正直今の仕事には全く関係がありません。
高校生の頃の自分と比べ人として成長したとも言い難いです。
つまり社会人としての自分はただ社会に出るのが4年間遅れただけの人間といえるのです。
大卒ゆえに感じるこのようなコンプレックスは社会に出たばかりの今だけのものなのか。
それとも今後も自分の無力さを実感するたびにひょっこり出てくるものなのか。
たぶん自分次第なのだとは思います。
今の自分にできることは、大学時代に見つけた目標を達成することで、大学時代の自分は無駄ではなかったと思えるようにすることなんでしょうか。
本日は以上になります。ただただ卑屈でネガティブな内容になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方々ありがとうございます。
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